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東京都多摩市における保育所利用調整ルールの改善
こんにちは。CyberAgent AI Labの竹浪 良寛です。
今回は、東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)との共同研究の1つとして取り組んでいる「保育所マッチングプロジェクト」において、ともに実証実験に取り組んでいる東京都多摩市の制度を改善した事例を説明します。
この記事の概要
東京都多摩市では、2021年度までの保育所利用調整において、一部の応募者について希望施設の順位を考慮するルールを設けていました。しかし、マッチング理論の観点からすると、このルールは
- 正直に希望順位を申告せず、実際の希望とは異なる順位を申告することで得をする可能性がある
ため、正直な人が損をする可能性があります。
多摩市では、私たちの提言を受けて、2022 年度の募集からこのルールを廃止し、正直な希望施設を申告しても不利がない、シンプルな制度に変更しました。
また、2021年度と2022年度の一斉入所データを比較することで、
- 一部の応募者において、保育所利用に関する正直な希望の申告が促進されている可能性がある(ただし、統計的に有意ではなく誤差の可能性も否定できない)
という結果を得ました。
多摩市における利用調整の流れ
多摩市における保育所の利用調整は大まかに以下のような流れで行われます。
- 各保育所各年齢別の募集定員の決定・募集要項公開
- 保護者が希望する保育所のリストを記入した申込書を提出
- 例:第1希望 A保育所 第2希望 B保育所 第3希望 C保育所 …
- 各申込児童について「保育の必要性指数」を計算
- 募集定員・各申込児童の希望保育所・「保育の必要性指数」・「優先順位」をもとに利用調整を行い、入園先を決定
- 結果通知
- 2次募集など
3.については、例えば、親の就労状況に基づき、保育の必要性が高い人については高い「保育の必要性指数」が割り当てられます。
4については、「保育の必要性指数」の同点者が複数いる場合に備えたタイブレークルールとして「優先順位」が存在しています。2021年度の優先順位は次のようなものでした。
図1:2021年度多摩市保育所利用調整における優先順位
「保育の必要性指数」が同じだった場合、まず優先順位1「市内在住者」かどうかでタイブレークを行います。もし複数の市内在住者がいる場合、続いて優先順位2でタイブレークを行う、という具合に続いていきます。
そして、空きがある保育所について、「保育の必要性指数」および「優先順位」の高い方から順に、希望する保育所への入所決定が行われます。
「希望施設順位ルール」と耐戦略性
「希望施設順位ルール」では正直な希望順位を申告しないほうがいい(かもしれない)
ここで、優先順位7「希望保育園の順位が高い者」というルールに注目します。このルールでは、優先順位6までで同順位が解消されずに同じ施設を希望する場合、第1希望の人を第2希望の人よりも、第2希望の人を第3希望の人よりも優先します。2021年度の一斉入所では、このルールが適用される応募者は78%もいました。
ここでは、この「希望保育園の順位が高い者」を優先するルールを、「希望施設順位ルール」と呼ぶことにします。「希望施設順位ルール」は、応募者の強い希望を叶えようとするルールに見えます。
しかし、このルールにより、
-
正直に希望順位を申告せず、実際の希望とは異なる順位を申告することで得をする可能性がある
があります。
例えば、本当は非常に人気のある保育所を第1希望としており、本来第2希望の保育所は第1希望と申告すれば入所できそうだが、第2希望では入所できなさそうな場合を考えます。このとき、本当の希望をそのまま申告すると第1希望にも第2希望にも入所できなさそうなため、本来第2希望だった保育所を第1希望として申告することで、無事、本来第2希望だった保育所に入所が決定されます。
耐戦略性:正直に申告することが一番
マッチング理論では、他の応募者の行動に関わらず、自身が希望する保育所の順位を正直に申告することが最適な戦略となるような利用調整方式を、耐戦略的な方式と呼びます[1]。耐戦略的な方式には、次のようなメリットがあります。
- 自身の本当の希望順位を記入するだけでよい
- そのため、申請が簡単
- 利用調整方式への理解度の違いによる不平等がない
耐戦略的な利用調整方式では、他の応募者の申込状況や保育所の募集人数を考慮して、本当の希望順位とは異なる希望順位を申告する必要がなくなります。そのため、自身の本当の希望順位を記入するだけでよくなり、保育所の申請が簡単になります。
一方、耐戦略性を満たさない利用調整方式は、前節で確認したように、正直に希望順位を申告せず、実際の希望とは異なる順位を申告することで得をする可能性があります。このような状況では、応募者が他の応募者の申込状況や保育所の募集人数を考慮し、戦略的な希望順位の申告に頭を悩ませる必要があります。さらに、自身の指数では本来もっと望ましい保育所に行けたはずなのに、過度に安全な希望順位を提出した結果、そこに行けないという状況も発生し得ます。また、耐戦略性を満たさない利用調整方式では本当の希望を申告しないことが想定され、実際にそのような実験結果が報告されています[2]。
さらに、耐戦略性を満たさない利用調整方式は、利用調整方式への理解度の違いにより、有利な応募者とそうではない応募者を生み出していることにも注目する必要があります[3]。耐戦略性を満たさない方式において、この方式をよく理解している応募者は自身に有利になるよう最適な希望順位を申告し、望ましい結果を得ることができますが、理解していない応募者は最適な希望順位を申告することができず、望ましい結果を得ることは難しくなります。一方、耐戦略性を満たす利用調整方式では自身の本当の希望順位を申告することが最適となるので、利用調整方式への理解度に関わらず、どの応募者も本当の希望順位を正直に申告するだけで望ましい結果が得られます
保育所の利用調整は行政が執行していることから、制度の透明性や明快さが重要です。耐戦略性を満たす、正直に申告するだけでいいという制度であれば、透明性や明快さが担保されると考えられます。
「希望施設順位ルール」と耐戦略性
「希望順位施設ルール」には耐戦略性がありません。先の例で見たように、自身の希望順位を偽るインセンティブがあるからです。この「希望順位施設ルール」と似たボストン方式と呼ばれる利用調整方式は耐戦略的ではないことが知られています[1]。そのため、「希望順位施設ルール」では次のようなデメリットが発生します。
- 他人の応募状況や保育所の募集人数を考慮し、自身の希望順位を最適化する必要がある(頭を悩ます)
- 利用調整方式を熟知している人は自身の希望順位を最適化し希望の保育所に入所できるが、そうではない人は希望を叶えることが難しい
利用調整ルールの変更
多摩市に対して「希望施設順位ルール」の問題点についてお伝えしたところ、2021年10月に開始する2022年4月一斉入所の募集時から利用調整ルールが変更され、優先順位から「希望保育園の順位が高い者」というルールが削除されました。優先順位7が市内在住日数に変わっていることにご注目ください。
図2:2022年度多摩市保育所利用調整における優先順位
このルールが削除されたことで、多摩市の利用調整方式は希望順位を偽って申告しても得をしない「逐次独裁方式」に近い方式へと改善されました。逐次独裁方式(Serial Dictatorship)とは、「保育の必要性指数」や「優先順位」の高い児童順に、残っている保育所の募集枠から一番希望の高い保育所に入所させる方式です[1]。
例えば、応募者Xさんが、第1希望:A保育所、第2希望:B保育所、第3希望:C保育所としており、Xさんの順番が来たときにA保育所の募集枠は埋まっているものの、B保育所、C保育所は空いている状況を考えます。このとき、逐次独裁方式では残っている保育所の募集枠から一番希望の高い保育所に入所させることから、Xさんを第2希望のB保育所に割り当てます。
また、逐次独裁方式は耐戦略的な利用調整方式であることも知られています。よって、この逐次独裁方式では、自身が希望する順番に保育所の希望順位を申告すべきであることがわかります。
厳密には、きょうだいの同所入所希望や転園を考慮していることから、多摩市の利用調整方式は完全な逐次独裁方式ではありませんが、従前の方式よりも希望順位を偽る余地が小さくなりました。ほとんどのケースで、他の申請者の希望とは関係なく、申請者が通いたい保育所を希望する順に記入しても不利益が発生せず、シンプルな意思決定で済むことが期待されます。
ルール変更の効果について
ここでは、制度の変更前後で応募者の希望が変化したかどうか、多摩市の2021年度一斉入所データと2022年度一斉入所データを比較することで確認します。
予想されること
2021年度までの利用調整では、「希望施設順位ルール」により、正直に希望順位を申告せず、実際の希望とは異なる順位を申告することで得をする可能性があることから、人気のある保育所を敬遠し、人気があまりなく確実に入所できそうな保育所を優先して希望していた可能性があります。
一方、2022年度の一斉入所からは、「希望施設順位ルール」がなくなったため、正直に人気のある保育所を希望しても不利ではなくなりました。そのため、あえて希望を偽ることなく、人気のある保育所を希望する応募者が増えることが予想されます。
分析
多摩市から提供された2021年度の一斉入所匿名データ(635名)と2022年の一斉入所匿名データ(550名)を用いて分析を行いました。
ここでは人気園の定義を、1歳児の第1希望園について、2021年度も2022年度も募集人員以上の応募があった保育所としました。この定義に基づくと、人気園は11園あり、それ以外は16園あります。
そして、2021年度と2022年度について、人気園が第1希望や第2希望に書かれた割合を比較しました。
また、2021年の応募者と2022年の応募者で人気園を選ぶ割合について統計的に有意な差があるのか、独立性のカイ二乗検定[4](有意水準5%)で検証しました(帰無仮説:年度(2021年度、2022年度)と人気園を記入する確率は独立である)。
結果
2021年度と比較すると、2022年度の第1希望において人気園が記入される割合は減少したものの、第2希望において人気園が記入される割合は増加しました。
表1:全年齢で人気園を記入した割合
2021年度 | 2022年度 | |
第1希望 | 0.64 | 0.62 |
第2希望 | 0.58 | 0.61 |
一方、独立性のカイ二乗検定(有意水準5%)は、第1希望・第2希望いずれについても棄却されました(p値:第1希望の場合0.53、第2希望の場合0.40)。そのため、2021年度と2022年度とで人気園を選ぶ割合について統計的に有意な差があったとは言えません。
次に、対象を「希望施設順位ルール」が適用されやすい「保育の必要性指数」が40点から42点で、かつ0歳から2歳の応募者にします。「保育の必要性指数」が40点から42点の応募者については、全体の6割前後を占めており、同点数となる人が多く、「希望施設順位ルール」が適用されやすい人たちです。そして、0歳から2歳の応募者については応募数が多く、募集人数よりも応募者数が上回ることもあることから、念入りに希望施設の順位を検討していることが想定されます。
この応募者たちについて2021年度と比較すると、2022年度の第1希望・第2希望いずれも人気園を書いた人の割合は増加しており、特に第2希望については7%増加しました。
表2:「保育の必要性指数」が40点から42点で、かつ0歳から2歳の応募者において人気園を記入した割合
2021年度 | 2022年度 | |
第1希望 | 0.65 | 0.67 |
第2希望 | 0.58 | 0.65 |
しかし、独立性のカイ二乗検定(有意水準5%)は、第1希望・第2希望いずれについても棄却されました(p値:第1希望の場合0.53、第2希望の場合0.14)。第2希望についてはp値が低くなっているものの、2021年度と2022年度とで人気園を選ぶ割合について統計的に有意な差があったとは言えません。
ただし、ここで実施した検定が信頼できるものかどうかについては、厳密なRCTで得られたデータではなく、2021年度と2022年度の実際のデータの比較であり、統計的に必要な仮定を飛ばしていることも考えられ、留保が必要です。
また、サンプルサイズが限られており、検出力の限界により制度変更の効果が確認できなかった可能性もあります。もし、「保育の必要性指数」が40点から42点で、かつ0歳から2歳の応募者が何千人もいて、この結果が得られたのであれば統計的に有意となることが考えられますが、今回は全体で数百人程度であるため、統計的に制度変更の効果が確認できなかったということも考えられます。そのため、何も介入効果がなかったということを自信を持って言えるわけではない、ということも付記します。
結論
全体としては、制度の変更前後で応募者の希望が変化したとは結論し難い結果になりました。
一方、「希望施設順位ルール」が適用されやすい、指数が40点から42点で、クラス年齢が0歳から2歳の応募者に絞って比較すると、2021年よりも2022年のほうが人気のある保育所に集中する傾向が見られ、ルールの変更が行動の変化を促した可能性があります。ただし、統計的に有意ではなく、誤差である可能性も否定できません。
また、そもそも「希望施設順位ルール」が応募者にどれほど認知されていたのかということも検討する必要があります。日々の生活で忙しい人たちの中には入所案内を熟読しておらず、ルール変更を見落としていた人もいるかもしれません。
一方、検索エンジンで「保育所 順位」等で調べると、希望施設順位の書き方についてのノウハウが共有がされており、保活に熱心な応募者にのみこのルールが認知されていた可能性があります。
そのため、今回の制度変更により、ルールを熟知している応募者については行動変容を促し、そうではない応募者にはなんの変化もなかった可能性も考えられます。しかし、今回のデータでは「ルールを熟知している応募者」と「そうではない応募者」を判別できておらず、そのような分析は実施できませんでした。
おわりに
多摩市の保育所利用調整制度という実際の制度について、マーケットデザインという学問の観点から「希望施設順位ルール」という問題点を発見し、制度をアップデートした例をご紹介しました。
私たちの保育所マッチングプロジェクトでは、こういった既存制度のアップデートのほか、利用調整の本丸とも言える利用調整アルゴリズムの改良にもUTMDと取り組んでいます。
引き続き、マーケットデザインによる待機児童問題の解消を目指して取り組んでまいります。
参考文献
[1] 安田洋祐, 川越敏司, 小島武仁, 佐藤孝弘, 滝沢弘和,友枝健太郎, 成田悠輔:学校選択制のデザイン: ゲーム理論アプローチ, 叢書「制度を考える」, NTT 出版(2010)
[2] Yan Chen, Tayfun Sönmez, School choice: an experimental study, Journal of Economic Theory, Volume 127, Issue 1, 2006, Pages 202-231
[3] Haeringer, G., 栗野盛光:マーケットデザイン: オークションとマッチングの理論・実践, 中央経済社, 中央経済グループパブリッシング(発売) (2020)
[4] 東京大学教養学部統計学教室:統計学入門, 基礎統計学, 東京大学教養学部統計学教室編, No. 1, 東京大学出版会(1991)
UTMD×サイバーエージェント共催シンポジウムのアーカイブ動画を公開
「官学民連携」による新たな官公庁・地方自治体業務の在り方を検討するシンポジウム「Govtechとマーケットデザイン」を2022年2月24日(木)にオンライン開催いたしました。保育所利用調整ルールについて実証実験に取り組む多摩市・渋谷区の担当のみなさまにもご登壇いただき、官民連携を超えた「官学民連携」による、新たな官公庁・地方自治体業務の在り方について意見交換をいたしました。ぜひアーカイブ動画をご覧ください。
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