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2021年ノーベル経済学賞の簡単な紹介
2021年度のノーベル経済学賞はDavid Card, Joshua Angrist, Guido Imbensの3名に贈られました。おめでとうございます!
特にJoshua Angirst氏は東京大学(CREPE)で3日間の集中講義を行った際にAI Labからも参加させていただいたため、非常に親近感がありとても嬉しいです。
プレスリリースのタイトルに「Natural experiments help answer important questions for society」とあることから、因果推論の手法それ自体というよりも、自然実験を社会にとって重要な問いへ適用し、重要な洞察を発見したことへの貢献が考慮されているのだと感じました。
このブログ記事では、受賞した3名の貢献をプレスリリースの要約と共に簡単に解説し、それがデータサイエンティストにとってどんな意味があるのかについて触れたいと思います。
(Angrist氏から頂いたサイン)
◎簡単な業績紹介(プレスリリースの要約)
社会科学の疑問の多くは、原因と結果を扱うものです。
例えば、
- 移民がそのほかの住人の給与や雇用に与える影響は?
- 教育期間は将来の収入にどう影響するのか?
といった質問に応えるためには、移民や教育期間といった「原因」が、給与や雇用といった「結果」にどのような効果を与えるのかを分析する必要がありますが、これはそれほど簡単ではありません。
なぜなら、
- もっと移民が少なかったら、住民の給料はどうなっていたのか?
- 教育を受けていなかったら、その人の収入はどうなっていたのか?
といった「現実には起きなかったこと」は、実際にはデータとして観測されないからです。
今回のノーベル経済学の受賞者たちは、偶然の出来事や政策変更によって、似た状況にある人々が異なる扱いを受けるような状況を利用し、冒頭の疑問に答えることができることを示しました。
こうした偶然の出来事や政策によって生まれる擬似的な実験のような状況を、自然実験(Natural Experiment)と呼びます。彼らはこの自然実験を、医学における臨床試験のように、社会科学上の研究に利用することを編み出しました。
David Card氏は、自然実験を用いて、最低賃金・移民・教育の労働市場への影響を分析しました。1990年代初頭に行われた研究では、最低賃金の引き上げが必ずしも雇用の減少につながらないことなど、従来の常識を覆す新たな洞察をもたらしました。
また、新規の移民は受け入れ国の労働者の所得に全体としてプラスの影響を与える一方、既存移民の所得に対しては負の影響を与える可能性があることを明らかにしました。そのほかには、学生が労働市場で成功を収めるために、学校のリソースがこれまで考えられていたよりもはるかに重要であることも明らかにしました。
自然実験のデータを解釈するのはとても困難です。例えば、あるグループの学生に対し義務教育を1年延長したとしても(他のグループには延長しなかったとしても)、グループの各学生が受ける教育の効果は同じではありません。例えば、義務教育の延長をしなかった場合でも勉強を続けるような学生にとっては、義務教育の価値は他の(不勉強な)学生と異なるはずです。
こうした状況下で、学校教育の効果について、何らかの一般的な結論を出すことは可能なのでしょうか。1990年代半ば、Joshua AngristとGuido Imbensの両氏は、自然実験から原因と結果に関する正確な結論を導き出す方法を開発し、これらの問いに一定の答えを与えました。
経済学賞委員会のPeter Fredriksson委員長は「Card氏の社会的に重要な問題に関する研究と、Angrist氏とImbens氏の方法論的貢献により、自然実験が豊かな知識の源であることが示されました。彼らの研究により、重要な因果関係に関する多くの問いに答えることができるようになり、社会に大きな利益をもたらしました。」と述べています。
(引用元:Press release: The Prize in Economic Sciences 2021, LINK)
◎今回受賞対象となった業績が、データサイエンティストにとってどんな意味を持つのか?
今回の受賞者3名の功績は、
- 明示的にABテストを行っていないデータから、自然実験と呼ばれるあたかもABテストをしていたかのような状況のデータをうまく見つけ出し、そこから因果効果を分析するという枠組みを整理した。
- その方法を使って社会にとって重要な質問のいくつかに回答を示した。
という2点にあります。
ビジネスの現場でデータサイエンスを行っていると、実験が行われてないような場合にも「原因と結果」に対しての分析を求められることが多くあります。その際、オンライン広告などのデジタル化が進んだビジネス領域であれば、ランダムに抽出した顧客にのみ特定の広告を表示する、といった実験を行うコストが比較的小さいため、単純なABテストによる効果測定によって「原因と結果」を比較的高い精度で識別することができます。
一方で、近年ビジネス上の関心が急速に高まっているデジタル・トランスフォーメーションの現場では、施策の効果測定に関する実務上の制約があることがむしろ普通になっています。例えば実店舗の運営を伴う小売業においては、特定の顧客にのみ特定の価格をオファーする、といったような実験を行うことがそもそも困難です。
こういった状況において、自然実験の概念や受賞者たちが整理してきた手法を知らなければ、多くの場合間違った意思決定へと導くような分析結果を得ることになってしまいます。逆に言えば、受賞者らの整理してきた枠組みを学ぶことで、データサイエンティストにとって回答が可能なビジネス上の疑問の範囲が大きく広がることにもなります。
経済学は昔から自然実験のアプローチを利用してきたわけではありません。1980年代は、データの生成過程を構造方程式として表現する方法が主流でした。こうした手法で得られた結果に対し、実験結果と比較した検証などが行われるようになった結果、従来の方法ではうまく実験の結果を再現できないことが徐々に明らかになってきました。このような状況の中で、今回の受賞者三名は、自然実験をうまく利用した分析方法に関する重要な貢献をいくつも生み出し、経済学のみならず、社会科学全体の発展にに大きなインパクトをもたらしました。
彼らの貢献の多くは、効果を検証したい要素(例えばクーポンや広告)がどのような理由によって割り振りが決まっているか、という部分に着目することで、正確な効果を識別しようとしています。これは分析者が、現実の世界における割り振りの決定ルールや、それを行う人間の考え方などに十分な注意を払い、こうしたバックグラウンドを考慮した分析を行うことを要求しています。今回、三氏の業績に対しノーベル賞が与えられたことで、ビジネス上のドメイン知識に左右されない「スマート」なモデル構築手法やアルゴリズムが重視されがちな現状に対し、社会や人間の意思決定への洞察の重要性について、データサイエンティストが考え直すきっかけになるのではないでしょうか。
◎サイバーエージェントでの関連した取り組み
サイバーエージェントには経済学バックグラウンドのデータサイエンティスト・リサーチャーが多数在籍しており(参考A・参考B・参考C)、ABテストができないような環境において、今回の受賞者の提案してきた手法などを日々実務の中で活用しています。具体的には、小売業におけるポイントプログラムの効果や、広告の表示やクーポンの利用といったパーソナライズされたマーケティング施策の効果を検証する際に、今回の受賞対象となった手法を広く用いながら、適切な因果効果の識別を図っています。
また、これらの手法を実際のビジネスで活用した経験を生かし、ビジネスで利用することを前提とした入門書である「効果検証入門」という書籍の出版や、データサイエンティスト協会で講義を行ったりしています。
そんなサイバーエージェントでは、今後もより広い範囲で経済学のアプローチを利用した分析の活用を想定しています。こういった中で、因果推論や自然実験を前提にした分析を行いたい方だけでなく、そういったタイプの分析者と働いてみたいと思う営業職やMLエンジニアやソフトウェアエンジニアといった幅広い職種の方を募集中です。
興味のある方はカジュアル面談なども可能なので、ぜひお声がけください!
執筆者
白木(@mori_kogai)・安井(@housecat442)
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